たまには日本の小説を読んでみた

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アメリカを敵に回した男たち

まず1冊目は、川本直の
『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』

です。

「もうひとつの
20世紀アメリカ文学史を描く」

というキャッチコピーに惹かれて
この作品を手に取ったんですが、

思わずドキッとするような
本の分厚さに負けず劣らず、
中身の情報量も半端なくて、

第二次世界大戦後の冷戦期における
アメリカの文壇の裏話
まさにその場に居合わせたかのような
臨場感とともに知ることができます。

1950年代から60年代の
アメリカ文学というと、

サリンジャーと、カポーティと、
ビート・ジェネレーションと、
あとSFのイメージが
個人的にはあるんですが、

この本のなかで
おもに焦点が当てられているのは、
カポーティのような
同性愛者の白人男性の作家たちになります。

私は、カポーティの作品は
いくつか読んだことがあるんですが、

主人公たちの友人として登場する
ゴア・ヴィダルの作品も、
ノーマン・メイラーの作品も、
まだ一冊も読んだことがなかったので、

この本を読んだおかげで、
私の頭のなかにある
アメリカ文学史の空白の一部を

きめ細やかに穴埋めすることが
できたように思います。

ちなみに、この回想録の作者にあたる
ジョージ・ジョンも、
ジュリアン・バトラーも、
実在しない作家なんですけど、

そのほかの人物や作品や場所、
それから歴史的な出来事に関しては
そのほとんどが実際に存在するものに
なります。

とはいえ、知らない人にとっては、
どこまでが事実で
どこからが創作なのかが
全然わからない
ので、

読んでいるうちに
フィクションであることを
すっかり忘れてしまいます。

多岐にわたるエピソードのなかでも
個人的に一番おもしろかったのが、

特別番組『文学の今』のシーンで
事の顛末をざっくり説明すると、

このテレビ番組は、
当時の売れっ子作家だった

トルーマン・カポーティ、
ゴア・ヴィダル、
ノーマン・メイラー、
そして、ジュリアン・バトラーが集結して、

タイトルどおり「文学の今」を
語り合うという内容だったんですが、

まず、この4人はそろいもそろって
かなりの目立ちたがり屋で、

過激な言動を披露しては
世間の注目を集めるという
いわゆる、お騒がせなセレブリティたちでも
あるんですね。

さらに悪いことには、
ジュリアン・バトラーを除く3人は
犬猿の仲でもあります。

この4人のトークを司会するのが
アンディ・ウォーホルで、あともう一人、
サポート役として大物司会者が
付き添っているんですけど、

この時点でもう嫌な予感しか
しないんですよね。

案の定、ジュリアンを除く、
トルーマン・カポーティと、
ゴア・ヴィダルと、
ノーマン・メイラーは、

非難の応酬によって
ヒートアップしてしまってですね、

おまえの作品は、誰々のパクリだ!とか、
あんなもんは文学じゃない!とか、
さんざん罵り合った挙句、

ゴア・ヴィダルとノーマン・メイラーが
殴り合いのケンカをはじめて、

この放送事故を目隠しするために、
プロモーションに来ていた
ローリング・ストーンズが
その場で急遽新曲を披露して、

ドタバタの最後には、
アンディ・ウォーホルと
ジュリアン・バトラーが

「二人きりになっちゃったね」と話しながら
苦笑いしていると。

このあとにジュリアンがいらんことを言って
もっと大変なことになるんですけど。

冒頭からもうカオスすぎて、
何度も腹を抱えて笑ってしまったんですが、

こういうのを見ていると、
当時のアメリカの文壇というのは、
良くも悪くも、すごいところだったんだなと
つくづく思います。

最後にもう一つだけ触れておきたいのが
ヘミングウェイについてなんですけど、

この回想録の作者であるジョージ・ジョンは
ヘミングウェイのことが大嫌いなんですね。

なぜかと言いますと、
おそらくヘミングウェイが
ジョージ・ジョンが言うところの

典型的な「偽マッチョ」だからなんだと
思います。

この回想録に登場する
同性愛者たちというのは、
大きく分けて3つのタイプに
分類することができて、

ここでは仮に、
「偽マッチョ」と「クローゼット」と
「カミングアウト」
という言葉を使いますが、

まず、「偽マッチョ」というのは、
ジョージ・ジョンの言葉を
そのまま引用すると、

「ホモ嫌いのホモ」と言い換えることが
できます。

これは、自身も同性愛者である
にもかかわらず、それを隠して、
ほかの同性愛者たちを
目の敵にする人たちのことを指します。

それから、「クローゼット」というのは、
ジョージ・ジョンのように
自分が同性愛者であることを
公表していない人たちのことを指します。

そして最後の「カミングアウト」というのは
文字通り、ジュリアン・バトラーのように、
同性愛者であることを
公表している人たちのことを指します。

ヘミングウェイの場合、
その経歴からしても、
偽物ではなくて本物のマッチョだったとは
思うんですが、

ではなぜ、ジョージ・ジョンは、
自分とは住む世界が違うはずの
ヘミングウェイに対して、

嫌悪を感じるのかと考えてみると、
根本的な意味においては
2人は似た者同士だったから
なのかもしれません。

極端なインドア派のジョージ・ジョンと、
これまた極端なアウトドア派の
ヘミングウェイとでは、

共通点がほとんどないようにも
見えるんですが、

ジョージ・ジョンは心のどこかで
ヘミングウェイを意識していたのではないか
という気がしてならないんですよね。

その証拠にといってはなんですが、
ジョージ・ジョンの回想録がそもそも
ヘミングウェイの『移動祝祭日』
彷彿させます。

この本の巻末に収録されている
辞書のような「主要参考文献」にも
ちゃんとヘミングウェイの『移動祝祭日』が
明記してあるので、

これはひょっとすると、
当たらずといえども遠からず
なのではないかと勝手に推測しています。

切り取られた顔の相貌

つづいて2冊目は、
石沢麻衣の『月の三相』です。

「芥川賞受賞のデビュー作に続く、
最注目の受賞後第一作。」ということで、

この方は、2021年に
『貝に続く場所にて』という作品で
デビューされて、

同じ作品で芥川賞も受賞されている
とのことです。

芥川賞と直木賞については
その受賞作と候補作も含めて
まだ一冊も読んだことがなくて、

私にとっては、この『月の三相』が
はじめて読んだ芥川賞作家の作品に
なります。

純文学という意味においても、
それから幻想文学という意味においても、
私にはほとんどなじみのない分野
といいますか、

むしろ未知の領域といってもいいくらいで、
正直なところ、自分にはむずかしすぎて
途中で何度も迷子に
なってしまったんですが、

この小説が持つ不思議な世界観を
読書という形を通して実体験することが
できたと考えれば、

それはそれで、非常に興味深い体験だった
といえるかもしれません。

この物語の舞台となるのは
ドイツの南マインケロートという街で、

この街には、子どもが10歳になると、
自分の肖像画ならぬ、「肖像面」という
自分の顔にそっくりなお面を作る風習が
あります。

しかも、このお面はただのお面ではなくて、
お面のモデルである本人とともに
年を取っていくお面でもあるんです。

「面作家」と呼ばれる職人たちが
お面の所有者から依頼を受けて、

半年に一度か、一年に一度、
あるいは、人生を大きく変えるような
出来事があったときなどに、

その木彫りのお面に、モデルである本人の
「変化」を刻み込んでいくんですね。

しわとか、しみとか、えくぼとか、
ニキビとか、
顔の変化にもさまざまありますが、

そういったものを細かく察知して、
お面をアップデートしていきます。

ではなぜ、こういう変わった風習が
生まれたのかといいますと、
この街には、これまた奇妙な
「眠り病」という病があって、

この「眠り病」を発症すると、
その人は数日間から数か月間にわたって
眠り続けることになります。

「眠り病」を発症した人には
「眠り顔」という、
先ほど触れた肖像画のようなお面とは
また別のお面が作られるんですが、

この「眠り顔」には、
「眠り病」を発症した人が
あとで目覚めたときに、

本人の実年齢と、眠っている間に
停滞してしまった体内時計との時間差を
調整して、

時間の流れを元に戻すという
役割があるそうです。

このように、「顔」「時間」「眠り」
といったシンボルを根っこにして、

生い茂るつる草に飲み込まれていくように
現代の街がメルヘンな世界と
重なっていきます。

物語のなかで「面の身体化」という
言葉が出てくるんですけど、
これは抽象的な概念にとどまらず、
実際に起こる現象としても描かれていて、

「面箱」と呼ばれる専用のケースに
収納されているお面が
カタカタと箱の中で動いたり、

箱から飛び出して逃亡したりする
といったことが起こります。

ここのところで、私のお気に入りの
「お面」の描写を少しだけ引用しますと、

『月の三相』引用

なんというか、顔についた汚れを
ゴシゴシされている子どもみたいで、
かわいいと思ったんですが、

このように、物語を読み進めるうちに、
木彫りのお面の生き生きとした表情が
見えてくるのもおもしろいなと感じます。

ところで、本の帯には
「分断の時代を越えて」
と書かれていますが、

この「分断」という視点は、
この作品を読み解くための
重要なキーになっているといえそうです。

まず、舞台となる南マインケロートは
実在しない架空の街なんですけど、
この街は旧東ドイツに所属していた街
なんですね。

旧東ドイツというのは、
米ソの冷戦時代に東西に分断された
ドイツのうち、

ソ連が占領していた東側の領域のことを
指しますが、

この物語のなかでも
経済発展が著しい西側に対して、
「時代や流行から取り残されている」東側
という当時の格差の名残のようなものが、

南マインケロートの街に残っていることが
語られています。

それからもう一つ、
コロナのパニックによって
火に油を注ぐ形となった
「アジアンヘイト」が、

日本人の望と、
ベトナム系ドイツ人のグエットという
2人の主人公たちを襲います。

このように、人や街を超えて、
社会や国あるいは世界全体を巻き込んだ
分断の風潮が、

光と影、イメージとレッテル、
時の流れと淀み、
といったさまざまな形をとって
物語のあちらこちらに顔をのぞかせます。

なんといってもやはり、
人の顔の移ろいやすさというものを

太陽から当たる光と、
地球から向けられる視線によって形を変える
月の満ち欠けに例えて
表現しているところが絶妙で、

見ず知らずの人に、
いとも簡単にラベルを貼りつけてしまう癖を
身に着けてしまった現代人に対して、

人の顔が持つ複雑さというものを
顔のしわ一本にまで焦点を当てながら
再認識させる、

そんな力強いメッセージが
込められているようにも思いました。

クイズが暴いた本性

これで最後になります。

3冊目は、小川哲の『君のクイズ』です。

この作品は、本を紹介する
YouTuber の人たちの間でも
結構取り上げられていて、

とてもおもしろそうだったので、
読んでみることにしました。

私は、クイズ番組のことも、
クイズプレイヤーのことも、
ほとんど知らなかったので、

クイズの問題をすべて読み終える前に、
答えを当ててしまうなんてすごいなと
思うのと同時に、

頭のいい人は、頭の使い方が違うんだなと
圧倒されてしまったんですが、

読み進めていくうちに
クイズプレイヤーの人たちも、
もちろん地頭がいいということも
あるんでしょうが、

誰よりも早くクイズに答えるために
何年もかけて研究して、
練習してきているのだということを知って
改めてすごいなと感じました。

ちなみに、私は、
この作品で出題されたクイズには、
1つも回答することが
できなかったんですが、そもそも、

クイズプレイヤーたちが持っている
知識の幅広さというのが、
半端じゃないんですよね。

この物語の主人公は、中学生のときの
「クイズ研究部」という部活動をきっかけに
スポーツ競技としてのクイズの世界に
入ることになるんですが、

この時点ですでに、普通の中学生には
思いもよらないような知識を
たくさん持っていることがわかります。

中学生の口から
フランク・シナトラのフルネームと、
そのあだ名が出てくること自体が
まず驚きなんですが、もっとすごいのが、

主人公の先輩が、
「いいか、『恥ずかしい』という
感情を抱きそうになったら、
頭の中で『マイ・ウェイ』を流すんだ。」

というふうに主人公にアドバイスしていて、
中学生と高校生の会話とは思えないような
この2人の大人ぶりに驚いてしまいました。

余談ですが、私はどちらかというと、
フランク・シナトラの
『マイ・ウェイ』よりも、

クロクロの ”Comme d’Habitude” の方が
好きなんですよね。

それはさておき、本作『君のクイズ』の中で
最も物議を醸したのは、実のところ、

「ゼロ文字正答」の真相よりも、
この物語のオチのつけ方
だったのではないでしょうか。

私個人の感想としても、
ある意味で予想外の展開に
あれ?これで終わり?という感じで、
ちょっぴり拍子抜けしてしまいました。

ただ、あのような結末から推測すると、
「世界を頭に中に保存した男」である
クイズ王は、

自分のために用意された問題を
解くことはできても、

自分が向き合わなければならない
課題については、
いっこうに歯が立たなかったようです。

そういうふうに考えていくと、
話が少し飛躍するかもしれませんが、

本物のクイズ王としてふさわしいのは、
本庄絆ではなくて、

ギリシア悲劇に登場する
「オイディプス王」なのではないか?
という気がしてきます。

「朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足。
これは何か?」
という有名な謎なぞがありますが、

この謎を解くことができなかった者を
食ってしまうという
恐ろしい怪物スフィンクスから
問題を出されたオイディプス王は、

「それは人間だ」と答えて、
スフィンクスを退治したと言われています。

私が以前読んだ本のなかでは
この謎なぞの答えは「人間」ではなくて、
「オイディプス王本人」であることが
指摘されていましたが、確かに、

オイディプス王とスフィンクスの対決を
描いた芸術作品のなかには、
オイディプス王が自分自身を指さしている
デザインのものがいくつか存在します。

オイディプス王の悲劇の内容については
話が長くなってしまうので、
今回は省略しますが、

生まれる前から予言されていた自分の宿命を
そうとは知らずに
ぴたりと言い当ててしまう
オイディプス王こそ、

自分とはいったい何者なのか?という
私たち人間にとって最大の謎を
解き明かしたという意味においては、

史上最強のクイズ王であると
いえるかもしれません。