【おすすめ本・海外文学】最近読んだ本〈2〉

最近読んだ本〈2〉 最近読んだ本

この記事では、当ブログの
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おすすめの本をご紹介しています。

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【1】地下室の手記

まず1冊目は、
ドストエフスキーの『地下室の手記』です。

ドストエフスキーを読むのは
かれこれ5・6年ぶりで、
最後に読んだのは確か
『罪と罰』だったと思うんですけど、

ずいぶん久しぶりだなと思って
読み始めてみたら、
主人公のあまりの自意識過剰ぶり
圧倒されて、

ドストエフスキーって、
こんな感じだったっけ?
と驚いてしまいました。

ただ、よくよく思い出してみると、
『罪と罰』のラスコーも
だいぶ自意識過剰な男でしたよね。

ちなみに、この『地下室の手記』の主人公は
自分のことを「地下室の住人」と
自称しているんですけど、

こういうところからして、
もう卑屈な感じがしますよね。

おまけに、この主人公は
かなり「痛い男」でもあるんですが、

そのあまりの痛々しさに、
思わず目をそむけたくなったシーン
というのがありまして、

それが、同窓生が数人で集まって、
遠くの町へ転勤する仲間のために
送別会を開く計画を立てているところに
出くわした主人公が、

なぜか、いきなり、
飛び入り参加を申し出るんですね。

頼まれてもいないのに。

えっ、なんで?ってなりますよね?

というか、この主人公は心のなかで、
送別会に参加するメンバー全員を
さんざんこき下ろしていたんですよ?

それが、舌の根の乾かぬうちに、
「俺も参加させろ!」と言い出す始末です。

その理由というのがまた痛ましくてですね、
少しだけ引用しますが、

こんなふうに突然、だしぬけに申し出れば たいそう気が利いていて 連中も皆これでいっきに圧倒されてしまい、俺を尊敬の眼差しで見るようになるだろう、とそんな気がしたのだ。

P127『地下室の手記』フョードル・ドストエフスキー著、安田治子訳、光文社、2007年)

いや、そんなわけないじゃん!と
思わず突っ込みたくなるところなんですが、
結局、主人公は無理を言って、
この送別会に加わることになります。

そのあとの顛末はというと、
もう目も当てられないといった感じでした。

【2】鼻/外套/査察官

つづいて2冊目は、
ゴーゴリの『鼻/外套/査察官』です。

ゴーゴリは、はじめて読んだんですけど、
例によって、私の大好きな
浦雅春・訳を手に入れることができたので、

今回もスラスラと読み進めることが
できました。

私はロシア文学にはあまり詳しくないので、
文庫本の巻末に収録されている
作者の経歴や、作品の解説を読んで、
その都度勉強しているんですけど、

浦雅春・訳のものは、
翻訳はさることながら、解説も
すごくわかりやすいのでおすすめです。

今回の解説では、
ゴーゴリという作家について、
なんといいますか、
下駄を履かせる、じゃないですけど、

ちょっと過大評価されていたところが
あったのではないか?
という視点から書かれていて、
まさに目から鱗の内容でした。

確かに、ディテールのふくらまし方が
結構気まぐれといいますか、
推敲を重ねて、綿密に練り上げられた
というよりは、

思いついたことをそのまま書き連ねている
といった印象は否めません。

ただ、個人的に、興味深いなと思ったのは、
2作目に収録されている『外套』ですね。

オーバーコートを新調したおかげで、
みすぼらしかった主人公が
まるで別人のように生まれ変わり、

それがたった1日で、
オーバーコートを強奪されてしまって、
元の木阿弥となる、という話なんですが、

このような展開は、神話や伝説に出てくる
「王位簒奪」のシンボルを彷彿させます。

ちなみに、ここでいう
「王位簒奪」のシンボルというのは、

王様の服が盗まれることで、
その王様は王座を追われ、反対に、
その服を盗んだ人物がその後釜に座る
という話です。

この点について、作者の意図というのは
よくわからないんですけど、

「諷刺」という角度から考察すると、
肩書を与えられたり、
奪われたりしただけで、
天国と地獄を味わうことになる

役人という立場のはかなさ
描いているのかなと思ったりもしました。

【3】華氏451度

3冊目は、
ブラッドベリの『華氏451度』です。

登場人物のなかで、
もっとも印象的なキャラクターは
誰かといえば、

やはり、「ベイティ隊長」ということに
なるのではないでしょうか。

主人公を含めたほかのキャラクターの影が
すっかり薄れてしまうくらい
強烈な印象を残すベイティ隊長なんですが、

この人は「昇火士」でありながら
無類の本好きでもあり、

それにもかかわらず、
他人の本は容赦なく焼き払うという
謎に満ちた男なんですね。

部下である主人公に対して
お説教をするシーンでは、
いろんな本からさまざまな言葉を引用して、
主人公をじりじりと問い詰めるんですが、

ここだけ見ても、ベイティ隊長が、
かなりの量の本を読み込んでいることが
わかります。

じゃあなんで、ベイティ隊長は
逮捕されないの?という大きな疑問が
ここへきて浮上するわけですが、
理由は定かではありません。

もしかすると、容疑者に対するおとり捜査の
一環だったのかもしれませんが。

それからもう一つ、
なぜ、人は本を読まなくなったのか?
について、

ベイティ隊長が持論を展開する場面が
あるんですけど、

ここのところを読んでいて
すごく感じたのは、

本なんか読んだって、
なんの役にも立たなかったじゃないか!
という、本読みの怒りと失望なんですよね。

『華氏451度』の舞台は、SFではおなじみの
ディストピアの世界なんですけど、

結局のところ、本は、
そのような世界の成立を食い止めることが
できなかったんですよね。

そのことに対する無力感が、
ベイティ隊長という
複雑なキャラクターを通して
描かれているのかもしれません。

【4】1984年

つづいて4冊目は、
オーウェルの『1984年』です。

そういえば、この小説にも、
ベイティ隊長みたいな人が
出てくるんですよね。

「犯罪予測」という観点も含めて、
社会のはみ出し者や、
その予備軍に該当する人々を
把握するために、

虎視眈々と目を光らせている存在が
いるのかと思うと、
ちょっと怖いですよね。

家の中はもちろんのこと、
トイレの個室にまで監視カメラ
ついているので、

24時間365日、一瞬たりとも気を抜くことは
できません。

さらに党は、党員の夢の中まで
監視・操作することができるようなので、
もう本当に、どこにも逃げ場はありません。

ちなみに、タイトルは
『1984年』なんですけど、
党の命令で、何度も何度も
記録を書き換えてしまっているので、

実際には、現時点が、
西暦何年に当たるのかも
わからない状態なんですね。

党の発表に従って、一応「1984年」
ということになっているわけですが、
「本当は1984年ではないかもしれない」
と主人公は言っています。

ここまでくるともう、なにがなんだか、
わけがわからなくなりそうですが、

党員を含む一般大衆は、党の公式見解以外に
比較検討できるような術を
一切持っていないので、

「党の言うことは、すべて正しい」と
なかば強引に信じているんです。

この作品についてはあまり詳しく説明すると
デリケートな事柄に触れることに
なりそうなので、
このあたりで切り上げることにしますが、

今起きていることを知るためにも、
この『1984年』は
絶対に読んでおきたい小説だと思います。

【5】すばらしい新世界

つづいて5冊目は、
ハクスリーの『すばらしい新世界』です。

この小説のタイトルは、
シェイクスピアの『テンペスト』ですね、
『あらし』といったりもしますが、
そのなかのセリフから来ているそうです。

実際のセリフには、
「人間ってなんて美しいのでしょう!
ああ、すばらしき新世界、
こんなに人がいるなんて。」
とあって、

ここでは、ヒロインの驚きと喜びに満ちた
気持ちを表現しているんですが、

ハクスリーの「新世界」では一転して、
痛烈な皮肉として引用されています。

今回改めて再読してみて、
個人的に興味を引かれたのが、
「ソリダリティ・サービス
(連帯おつとめ)」のシーンで、

そこに登場するメンバーの名前が
おもしろいんです。

マルクス、ロスチャイルド、ブラッドロー、
ディーゼル、ディターディング、カワグチ、
エンゲルス、ボカノフスキー、バクーニン、

このほかに、あと3名いるみたいですが、
どうでしょう?

なんか、聞いたことのある名前が
ちらほら混ざっていることに、
気づいた方もいるかもしれません。

ブラッドローと、カワグチと、
ボカノフスキーのことは
よくわからなかったんですが、

それ以外はすべて、
実在する人物の名前です。

このほかにも、
ダーウィン・ボナパルトとか、
ヘルムホルツ・ワトソンとか、

おもしろい名前のキャラクターが
登場するんですが、

ちなみに、このワトソンというのは、
『すばらしい新世界』の
基盤の一つとなっている、

「ネオ・パヴロフ式条件反射教育」の
生みの親ともいえる人物と
同じ名前なんですよね。

「アルバート坊やの実験」でおなじみの、
あのワトソン博士のことで、

この「ネオ・パヴロフ式条件反射教育」も
その実験を参考にしていることは
間違いないんですが、
それはさておき。

この作品は
ストーリーの展開そのものよりも、

隠れミッキーを探すように
細部に施されたものに注目していくと、
より一層楽しめるのではないかなと
思います。

【6】アルケミスト

6冊目は、パウロ・コエーリョの
『アルケミスト』です。

この小説は、すでにご存じの方も多いかと
思いますが、
本屋さんでも、古本屋さんでもよく見かける
人気の作品ですよね。

私は、今回はじめて読んだんですけど、
この本に出会えてよかった!と思えるような
とてもいいお話でしたね。

錬金術、賢者の石、エメラルドタブレット、
運命、宇宙のことば、大いなる魂、
セイレムの王、マクトゥーブ、などなど、

スピリチュアルな話や都市伝説が
好きな人には、おなじみの言葉の数々が、
物語の展開を盛り上げる小さなヒントとして
ページのあちこちに散りばめられています。

ストーリー自体はそこまで長くもないので、
サクサク読み進めることができると
思いますが、

なんといっても、
扱っているテーマが壮大なので、
何回も何回も読み返したくなること
間違いなしです。

風が吹けば桶屋が儲かるとか、
バタフライ・エフェクトとか、

そういった、一個人が認識できる範囲を
はるかに超える「自然の連鎖」
みたいなものを強く意識させる内容でした。

それと、この本を読んでみて思ったのが、
夢をあきらめるのは、
非常にもったいないことなんだな
ということです。

つまるところ、「継続は力なり」
「継続こそが力なり」なんですよね。

「もうダメかもしれない」と思ったときに
そっと背中を押してくれる、
そんな小説でした。