ホテル・ニューハンプシャー(アーヴィング)|作品を読み解く3つのポイント

ホテル・ニューハンプシャー アメリカ文学

TITLE : The Hotel New Hampshire
AUTHOR : John Irving
YEAR : 1981
GENRE : Comedy, Social Problem

a car in front of the hotel
画像提供:pixabay

ぼくたちはとめどなく夢を見続ける。最高のホテル、完璧な家族、リゾート生活。そしてぼくたちの夢は、それをありありと想像できるのと同じくらい鮮やかに目の前から消え去る。

P405(『ホテル・ニューハンプシャー(下)』ジョン・アーヴィング著、中野圭二訳、新潮社、1981年)

テーマ:アメリカの宿命

【作品を読み解く3つのポイント】
1、現代のおとぎ話
2、因果応報
3、アメリカの悲劇

作者アーヴィングは、
本作『ホテル・ニューハンプシャー』を
「おとぎ話」として書いたそうなのですが、

この「おとぎ話」という視点は、
本作の多層的な構造をひも解くにあたって、
私たち読者に
重要なヒントを与えてくれます。

なかでも、おとぎ話に秘められた
「通過儀礼」という本質的なテーマに
焦点を当てることによって、

この物語をさまざまなベクトルから
とらえることが可能になります。

このように俯瞰して物語を眺めてみると、
主人公ジョン・ベリーを中心とした
登場人物たちの壮絶な体験が、

彼らと同時代を生きたアメリカ人の
波乱万丈の歴史と重なる
ことに
気づかされるのです。

この世に生まれてくることをためらわないものがいるだろうか。できるだけこのおとぎ話を遅らせようとしないものがいるだろうか。

P397(『ホテル・ニューハンプシャー(下)』ジョン・アーヴィング著、中野圭二訳、新潮社、1981年)

暴力、死、トラウマ、倒錯。

平凡なベリー家の人々に襲いかかる
さまざまな苦難が、ほとんどすべて、

一家の大黒柱でもある父ウィン・ベリーの
「夢想家」の気質に起因することは
注目に値するといえるでしょう。

1939年の夏、メイン州のリゾートホテルで
青年ウィン・ベリーを虜にした
「熊」と「ホテル」の幻想が
彼の人生を翻弄することになります。

住み慣れた妻メアリーの生家を売り払い、
刑務所のような廃校を買い取って
ホテルを開業するものの、
その経営は思うようには振るいません。

それでも、彼の夢は潰えることはなく、
突然思い出したように舞い込んだ
「熊」の恩人フロイトの要請に
二つ返事ですぐさま応じて、

ウィン・ベリーは家族を引き連れて、
異国の地ウィーンへ飛び出していきます。

こうして、父親の夢に振り回されるうちに
家族はバラバラになっていき、

ある者は暴力の犠牲となり、
ある者は不慮の事故で命を落とし、

しまいには、自ら命を絶つ者まで
現れてしまうのです。

そしてウィン・ベリーは自信たっぷりの若者だった。ボブ・コーチの倅は、自分が想像できることは何でもできると想像する若者だった。

P46(『ホテル・ニューハンプシャー(上)』ジョン・アーヴィング著、中野圭二訳、新潮社、1981年)

おとぎ話にもさまざまありますが、
多くの場合、その基本的な構造として、

「課題」→「試練」→「解決」
という3つの段階が設定されていて、

物語は、これらのフェーズを
段階的に展開していくことによって、
主人公の変化と成長を演出します。

本作のベリー家の場合、
物語は多層的な構造を採用していて、

「課題」→「試練」→「解決」の過程を
親子3代にわたって展開していくことに
なります。

彼らに与えられた「課題」とは、
中西部出身のスポーツ崇拝者こと
祖父アイオワ・ボブの「課題」であって、

これがのちに、
「熊」と「ホテル」に魅せられた
息子ウィン・ベリーの「試練」として
顕在化します。

そのようにして、代々繰り越されてきた
未解決の「負の遺産」を

主人公ジョン・ベリーをはじめとする
子どもたちが「解決」していくことに
なります。

『ホテル・ニューハンプシャー』は
現代のアメリカの悲劇を題材にした
喜劇である

といってもいいかもしれません。

運命論者の祖父アイオワ・ボブ、
夢想家の父ウィン・ベリー、
夫を許すことを約束した母メアリー。

ゲイの長男フランク、
性に奔放な長女フラニー、
姉を熱愛する次男ジョン、

小さな空想家こと次女リリー、
そして、難聴の三男エッグ。

冒頭でも指摘したとおり、
ベリー家の人々に与えられた
それぞれの特徴と運命というのは、

彼らと同時代(1930-60年代)を生きた
アメリカの人々が直面していた
さまざまな社会問題を「投影」していると
考えることができます。

ベリー家の子どもたちが被る
さまざまな暴力は、
社会的弱者が被る暴力の投影でもあって、

このことから、ベリー家の子どもたちには、
そのような暴力の「犠牲者」としての役割
与えられているのだということが
わかります。

「誰がくるってるって」ぼくが訊く。
「お前さ」彼は言う。「それからフラニーときたらいつも、、、くるってるし、エッグは耳が聞こえない。リリーは奇形だ」
「それで自分は完全に正常だってのかい、フランク」ぼくは駆け足足踏みをしながら訊いた。

P252(『ホテル・ニューハンプシャー(上)』ジョン・アーヴィング著、中野圭二訳、新潮社、1981年)

おとぎ話というものは、時として、
物語の登場人物たちに対して、
残酷な仕打ちを与えることがあります。

『ホテル・ニューハンプシャー』にも
その特徴が顕著に見られるのですが、

非常に興味深い点としては、
彼らに降りかかる災難はどれも
ほかの家族がまいた火種によって
引き起こされたものであるということです。

引退間近のアイオワ・ボブのために、
デーリー高校が「金でそろえた」
不正選手たちの極悪非道によって、

主人公の兄フランクと姉フラニーは
心と体に深い傷を負うことになります。

その一方で、アイオワ・ボブは、
傷ついたフラニーのために
フランクが作成した愛犬の剥製に仰天して
ショック死してしまいます。

さらには、父の無謀な計画を実行するべく
移住先のウィーンへ向かった一行でしたが、

その途上で、別の飛行機に搭乗していた
母と末っ子のエッグは事故に遭って
命を落としてしまうのです。

残された家族は、そのダメージのせいで
「頭がおかしくなって」しまい、

依然と比べて大人びてはいるものの、
どことなく悲観的な態度
にじませるようになります。

この世の仕組みは不完全だからこそ、却ってどうしても目的を持って生きねばという気にさせられるのだし、成功することについて肚をきめようという気にさせられる。

P309(『ホテル・ニューハンプシャー(上)』ジョン・アーヴィング著、中野圭二訳、新潮社、1981年)

ベリー家の子どもたちは、
父親の夢物語に付き合わされる形で
彼らの宿命的な「試練」に
対処していくことになります。

校内暴力からテロリズム、
はては世間の評価にいたるまで、
ありとあらゆる苦難に立ち向かい、

満身創痍の状態に陥りながらも、
お互いに手を取り合って、
それぞれのやり方で
この試練を乗り越えようと模索します。

暴力と死の物語というのは、大抵、
深刻さを帯びるものですが、

ベリー家の物語には、
この「深刻さ」がほとんど感じられないのは
ある意味不思議といっても
いいかもしれません。

これも一つの「おとぎ話としての要素」
なのかもしれませんが、

彼らに本能的に備わっている
類まれなるユーモアのセンスと、
家族に対する信頼と愛情が、

このおとぎ話を、救いがたい悲劇から
笑いと涙の入り混じった喜劇として
演出することを可能にしているのです。

幸運も悲運も気まぐれなものであり、どたばた喜劇も悲しみも、風向き次第というわけだ。

P54(『ホテル・ニューハンプシャー(下)』ジョン・アーヴィング著、中野圭二訳、新潮社、1981年)

主人公の父ウィン・ベリーが
「熊」と「ホテル」の魔法にかけられた
1939年という年は、
彼にとっての転換期であったのと同時に、

世界中の人々にとっても
大きな変化を迎えた年でもありました。

1939年9月1日、ナチス・ドイツが
ポーランドへ侵攻したことにより、
第二次世界大戦がはじまり
時代は戦乱の世へと突入していきます。

戦時下における国家主導の生産体制と
軍事物資の需要の高まりによって、
アメリカの経済は不況を脱し、一転して、
右肩上がりに成長していくことになります。

それ以前のアメリカ社会では、
1920年代の「狂乱の時代」を経て、
1929年の大恐慌をきっかけに
長らく深刻な不景気が続いていました。

スタインベックの『怒りの葡萄』は、
そのような不況のあおりを受けた
オクラホマの貧しい農家の苦難を
描いていたのですが、

この『怒りの葡萄』が出版されたのも
1939年のことでした。

ウィン・ベリーの父アイオワ・ボブは
お産で妻を亡くしたあと、幼い息子を連れて
はるばる東のニューハンプシャーへ
やってきたということなのですが、

この若き日のアイオワ・ボブの行動は、
10年ほどの時期のずれはあるものの、

『怒りの葡萄』のジョード一家が
故郷のオクラホマを離れて
はるか西のカリフォルニアへ向かったことと
好対照をなしていて、

非常に興味深い点でもあります。

ソロー(悲しみ)は沈まないで漂うのだ。

P426(『ホテル・ニューハンプシャー(上)』ジョン・アーヴィング著、中野圭二訳、新潮社、1981年)

息子に「無料で教育を受けさせる」条件で、
雀の涙ほどの給料しか支給されない
高校のフットボール・コーチに職を得た
アイオワ・ボブでしたが、

息子ウィン・ベリーは、予想に反して、
ハーヴァード大学に入学を許されるほどの
才能を持った青年に成長します。

ところが、奨学金をもらえるほどの
学力を持ち合わせてはいなかったため、
ウィン・ベリーは学費を稼ぐ必要に
迫られます。

1939年の夏、メイン州のリゾートホテルで
19歳のウィン・ベリーが
アルバイトをしていたことには、
そのような切実な事情があったのです。

このように、アイオワ・ボブと
ウィン・ベリーの半生をたどっていくと、

「成長」→「どん底」→「復活」という
アメリカの歴史の大きな流れが
徐々に明らかになっていきます。

戦争という変革をきっかけに、
成功と挫折を繰り返しながらも
驚異の成長を遂げて
世界一の経済大国となったアメリカ。

しかし、その早すぎる成長が、
精神と肉体のアンバランスさを助長し、
アメリカの社会的な歪みを
もたらしたのかもしれません。

現実主義者のアイオワ・ボブから
夢想家のウィン・ベリーが生まれ、

その娘リリー・ベリーは小説家として
世に知られるようになります。

しかし、空想好きな小さなリリーは、
「大きくなろうとして」
背伸びをし過ぎたせいか、

「開いている窓の前で立ち止まった」まま
そこから動けなくなってしまうのでした。