アンドロイドは電気羊の夢を見るか?|作品を読み解く5つのポイント

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? アメリカ文学

TITLE : Do Androids Dream of Electric Sheep?
AUTHOR : Philip K. Dick
YEAR : 1968
GENRE : Science Fiction

robot hand
画像提供:pixabay

「アンドロイドは、ほかのアンドロイドがどうなろうと気にしないものです。それがわれわれのもとめる指標のひとつでもある」
「では、あなたもアンドロイドですのね」

P132(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳、早川書房、1977年)

テーマ:人間の条件

【作品を読み解く5つのポイント】
1、人間か?アンドロイドか?
2、アンドロイドとサイコパス
3、人間選別
4、電気羊の夢とは?
5、「本物」とは?

【1】人間か?アンドロイドか?

「私はロボットではありません」

セキュリティのための認証機能として、
表示されることがありますよね。

このチェックボックスを見かけるたびに、
おもしろいフレーズだなと感じます。

本作に登場するアンドロイドは、
ソフトバンクの Pepper のような
かわいらしい(ある意味で不格好な)
ロボットではありません。

Boston Dynamics の Atlas や
Hanson Robotics の Sophia といった
最新鋭型すら超越したロボット、
すなわちほぼ人間なのです。

しかも、この小説の世界では、
精密検査を実施しなければ、
人間かアンドロイドかを判別することが
できないレベルにまで達しています。

「きみはアンドロイドだ」
「わたしはアンドロイドではありません」

疑われた方は必死です。

身の潔白が証明されなければ、
レーザー銃で爆破されてしまいます。

その一方で、疑う側も
慎重に対処しなければなりません。

バウンティ・ハンター
(逃亡したアンドロイドを廃棄処理して
賞金を稼ぐ人)は、

判断を見誤ると、本物の人間を
あやめる恐れを抱えているからです。

主人公リック・デッカードは、
そのような自分の職務について
次第に葛藤を覚えるようになります。

たとえそれが、
無慈悲なアンドロイドであったとしても。

【2】アンドロイドとサイコパス

ミス・ラフトの口調には、冷たいよそよそしさがこもっていたーそして、リックがこれまで、大ぜいのアンドロイドの中に見いだしてきた、もうひとつの冷たさも。それは判で押したようにおなじだ。高い知能、すぐれた実行力、しかし、その一方ではこれ。悲しい話だ。だが、それがなかったひには、アンドロイドをつきとめる方法もない。

P130(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳、早川書房、1977年)

私パイヌが、まず率直に思ったのは、
これらのアンドロイドたちには
サイコパスの性質があるのではないか?
ということです。

サイコパスについては、
以下の書籍で知っている程度なのですが、

逃亡したアンドロイドたちは、
これらの本に登場する人々と
驚くほどよく似ているのです。

『良心をもたない人たち』
マーサ・スタウト

『診断名サイコパス
―身近にひそむ異常人格者たち』

ロバート・D・ヘア

『ケーキの切れない非行少年たち』
宮口幸治

サイコパス性の強いアンドロイドには、
やはり嫌悪感を抱いてしまいます。

とはいえ、そのようなアンドロイドたちも
ほぼ人間であることには違いありません。

アンドロイドも夢を見るのだろうか、とリックは自問した。見るらしい。(中略)奴隷労役のない、よりよい生活。

P241(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳、早川書房、1977年)

「アンドロイドもまた人間なのだ」

この事実に気づいてしまったら最後、
アンドロイドであることを理由にして
それらを廃棄処理することには、
強い抵抗を覚えることでしょう。

バウンティ・ハンターであるリックが
そうであったように。

そのような行為は、
リックと同業の男が主張したような、
人類を守るための「防壁」という
単純明快なものではなくて、

人間を選別して、
生死を勝手に決めつけることと
同じことなのではないでしょうか。

【3】人間選別

「フォークト=カンプフ検査に合格できない人間もごく少数存在すると考えている。きみが警察活動中に彼らをテストした場合は、人間型ロボットという判定をくだすだろう。」

P51(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳、早川書房、1977年)

さらにデリケートな問題として、
いわゆる特殊者(スペシャル)と
アンドロイドの識別があります。

フォークト=カンプフ検査というのは、
アンドロイドか否かを鑑別する方法で、
被験者の感情移入能力を測定します。

アンドロイドには、共感的な反射が
わずかに遅れるという傾向があるそうです。

ではもしも、感情移入能力の低い人間、
あるいは、それが一時的に減退した人間が、

「こいつはアンドロイドかもしれない」
という嫌疑をかけられたとしたら?

そのような人々が、自らを
「本物の人間」として証明する術は
あるのでしょうか。

このように、アンドロイドか否かの識別は、
「人を裁く」という道徳的・倫理的問題を
はらんでいるのです。

【4】電気羊の夢とは?

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

一度聞いたら忘れられない、
とてもおもしろいタイトルですよね。

ところで、この「電気羊の夢」とは、
いったいなにを表しているのでしょうか。

私パイヌの、個人的な考察としては、
この「電気羊の夢」は
アンドロイドたちの野望
表しているのではないか?と考えています。

アンドロイドたちが夢に見たのは、
電気羊の欺瞞を暴くことでした。

●オペラ歌手ルーバ・ラフトの舞台セリフ
 「パミーナ:真実よ。真実を話すのよ。」

●バスター・フレンドリーの
 センセーショナルなすっぱぬき

これら一連の流れが暗示していたのは、

感情移入能力というのも、
また一つの幻想にすぎないのかもしれない

という疑惑でした。

地球に取り残された人間たちは、
電気動物=動物ロボットを軽蔑していて、
そのくせ本物の動物のように装いながら
こっそりと飼育しています。

本物の動物を持っている、
あるいはそのように振舞うことが、
死の灰と、機械の板挟みのなかで
生き抜くための支えとなっているのです。

それは、本物の人間としての証明であり、
地球最後の人間としての悪あがきでも
あります。

そうはいってもここは、
先の最終世界大戦によって
ほとんどの生物が絶滅してしまった世界。

本物の動物は超貴重品です。

まず手に入らない。

でも、いないよりはマシ。

要するに、電気羊の欺瞞とは、
人間と電気動物(アンドロイドも含む)の
相互的な依存関係を隠蔽してしまうこと
だったのです。

そして、その欺瞞を暴くことによって、
いわゆる「本物」を決めるための基準や
識別という行為そのものが、
そもそも非合理的な幻想であって、

単なる「イカサマ」にすぎないということを
人間たちに知らしめたというわけです。

【5】「本物」とは?

では、「本物」とは、結局のところ、
なんだったのでしょう?

そのヒントとなるものが、
最後の場面に描かれていました。

主人公の妻イーランは、
夫が持ち帰った電気ヒキガエルのために
人工バエと飼育キットを注文しました。

夫には内緒で。

それは虚栄心でもなんでもなくて、純粋に
思いやりからの行動だったのでしょう。

言葉でもなく、身体的反応でもなく、
心に自然と湧いてくるあたたかいもの。

そういうものの中にこそ、
「本物」が存在するのだと、
作者は指摘していたのかもしれません。