ディストピアってなに?人類悪夢のシナリオを3つの小説で説明してみた

ディストピアってなに? 選書コーナー
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今回は「ディストピアってなに?
人類悪夢のシナリオを
3つの小説で説明してみた
」と題して、
お話していこうと思うのですが、

さっそく本題に入る前に、まずは
「ディストピア」という言葉の意味について
簡単に説明しておきたいと思います。

ディストピアは「アンチ・ユートピア」
といったりもするそうなんですが、

日本語に直すと
反理想郷」という意味になります。

理想とはかけ離れた
正反対の世界ということですね。

ちなみに、「理想郷」を意味する
英語の “utopia” は、
イギリスの思想家トマス・モアの造語で、

その由来となったギリシア語における
もともとの意味は
どこにもない場所」とのことです。

ディストピア=反理想郷

では、前置きはこれくらいにして、
ここからは海外文学の作品を参照しながら
ディストピアの世界をのぞいていこうと
思うのですが、

ディストピアと一口に言っても、
そこには段階があると
個人的には考えていて、

というのも、なにもないところから、
いきなりディストピアが出現するわけでは
ないんですね。

火のない所に煙は立たぬ
じゃないですけど、

世の中の変化というものは
常に小さな変化の積み重ねによって
引き起こされるものです。

というわけで、今回は
ディストピアが確立されるまでの過程を
3つのステージに分けて説明しながら、

人類悪夢のシナリオについて
検証していきたいと思います。

【1】華氏451度

ステージ1:言論統制
『華氏451度』引用

ディストピア・ステージ1は、
ブラッドベリの『華氏451度』の世界です。

『華氏451度』の主人公モンターグは
「昇火士」と呼ばれる組織に
所属しています。

この「昇火士」の任務は、
本を隠し持っている人物の家へ
押しかけていって、
そこに火を放つことなんですね。

ちなみに、この「昇火士」は、
原作では ”fireman” と表記されていて、
これは日本語に直すと
「消防士」という意味になります。

“fireman” たちは、
火を消すことから、火をつけることへ
仕事の内容が変化した現在も、
政府が管轄する公の組織として存在し、

有害な本を焼き払うことによって、
地域住民の心の平安を守っているのです。

本はなぜ有害なのか?

本はなぜ有害なのか?

『華氏451度』の世界では、
なぜ本が有害とみなされているのか?


その理由については、実のところ、
具体的には明らかにされていません。

なので、これから説明する内容というのは
おもに主人公のボスにあたるベイティ隊長の
セリフから推測したものになります。

このベイティ隊長は
非常に謎多き人物でもあって、

無類の本好きでもあるにもかかわらず、
他人の本は容赦なく焼き払うという
奇妙な性格の持ち主でもあります。

彼のまくし立てるようなセリフには、
ある種の文明批判のようなメッセージ
秘められていて、非常に興味深いのですが、

このベイティ隊長のセリフを
ひも解いていくことによって、

『華氏451度』の世界で
本が有害とみなされるようになった理由を
うかがい知ることができるのです。

ポイント1:大衆の簡素化

「大衆の心をつかめばつかむほど、
中身は単純化された」

とベイティ隊長は指摘していますが、

『華氏451度』の世界では、
ラジオやテレビ、スポーツといった
大衆向けの娯楽が巷にあふれかえることで、

人々は次第に、スピードやスリルといった
刺激ばかりを追い求めるようになり、

それと並行して、
本離れが加速していったといいます。

分量の多い本や、難解な内容を持つ本が
読まれなくなっていく一方で、

そのような世間の関心を
取り戻そうとすればするほど、
本の内容はどんどん薄っぺらになっていく
という悪循環に陥ります。

ポイント2:コンプライアンス

そのような状況に
さらなる拍車をかけたのが
いわゆるコンプライアンスです。

平等性を重視するあまり、
言葉狩りのような事態にまで発展して、
表現活動そのものが
おのずから委縮していきます。

過剰な配慮によって、
言いたいことも言えない、
なにも言えない、という環境を
自ら作り出してしまうんですね。

そうした負の連鎖の結果、
本はつまらないものに成り下がり、
人々の関心はますます本から
離れていきました。

ポイント3:敵意と劣等感

そこへとどめを刺したのが、
敵意と劣等感の問題です。

「反知性主義」という言葉がありますが、
本を有害とみなす理由の根幹には、

知識、あるいは知識人に対する
怒りと恐怖が潜んでいるのだと、
ベイティ隊長は指摘しています。

みんなで同じような考え方をして、
みんなで同じような行動をとることに
慣れてしまった人たちというのは、

みんなと違うことをする人に対して、
強烈な違和感を抱くようになります。

本を読むやつは、変わっている。

本を読むやつは、人を見下している。

本を読むやつは、集団の和を乱す。

本を読まなくなった人々は、
本の内容に関係なく、
本を読むという行為そのものに対して
嫌悪感を抱くようになってしまったのです。

burned book
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このようにして見ていくと、
ベイティ隊長が主張する
本を有害だとみなす根拠というのは

どうも短絡的で、
単なる言いがかりにすぎないようにも
思われます。

ただ、なにが怖いって、
法的な命令が出されたことは
一度もなかったにもかかわらず、

国民同士の同調圧力
蔓延することによって、

本と本読みを迫害する環境が
自然とできあがってしまったこと
なんですよね。

【2】1984年

ステージ2:監視社会
『1984年』引用

ディストピア・ステージ2は、
オーウェルの『1984年』の世界です。

ディストピア小説のなかでも
もっとも有名な作品といっても
決して過言ではなく、

実際に本を読んだことはなくても、
タイトルだけは知っている!という人も
結構多いのではないでしょうか。

「戦争は平和なり」
「自由は隷従なり」
「無知は力なり」


「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている」

このような、一度聞いたら忘れられない
キャッチーなディストピア・ワードの数々
というのも
本作の見所といえるかもしれません。

『1984年』の世界では、
「ビッグ・ブラザー」という
カリスマ指導者を筆頭に
一党独裁の体制が敷かれていて、

国家は巨大なピラミッドのような構造
形成しています。

現状に違和感を覚えた主人公は
ビッグ・ブラザーをやっつけるために
党の転覆を企んでいると噂される
謎の地下組織に接触を試みる、

というストーリーなんですが、

今回は、本作の目玉ともいうべき
ビッグ・ブラザーの統治体制について、
簡単に説明してみようと思います。

ビッグ・ブラザーの統治体制

ビッグ・ブラザーの統治体制

1:真理省

ビッグ・ブラザー率いる党の体制は、
「真理省」「平和省」「愛情省」「潤沢省」
という4つの主要な行政機関を柱に
構築されています。

まずは、真理省です。

ここでは、記録と記憶の書き換え
行われています。

党の方針にそぐわないものは、

数時間前に発表されたばかりの
ニュースから、過去の出版物、
はたまた人々の記憶にいたるまで、
徹底的に修正されていきます。

あったことが、
「ない」ことになっていたり、

なかったことが、
「ある」ことになっていたり、

こういうことがしょっちゅう発生します。

2:平和省

次は、平和省です。

『1984年』では、
「オセアニア」「ユーラシア」
「イースタシア」という3つのブロックに
世界が分割されていて、

これらのブロック同士が、お互いに
敵になったり、味方になったりを
延々と繰り返している状況にあります。

ビッグ・ブラザーの率いる党は
「オセアニア」に所属しているため、

敵であり、味方でもある
「ユーラシア」と「イースタシア」に
対処するための軍事機関として
平和省は機能することになります。

3:愛情省

つづいて、愛情省です。

党員の行動はおもに
「テレスクリーン」と呼ばれる装置と、
「思考警察」と呼ばれる秘密組織によって
24時間365日、常に監視されています。

反乱分子として党から目をつけられた人間は
すべてここへ移送されることになります。

常に意識させられてはいるものの
愛情省の実態については、
党員にもほとんど知られていません。

ある日突然姿を消して、
記録も抹消されると、
その人物は、そもそもこの世には
存在しなかったことになるからです。

一時的に釈放される場合もありますが、
あくまでも一時的なものです。

4:潤沢省

最後は、潤沢省です。

ここでは、「オセアニア」における
すべての生産と物流を管理しています

ただ、「潤沢」とは名ばかりで、
党の上級メンバー以外については
党員も含めて、

生活に必要なものすら満足に手に入らない
という過酷な状況に置かれています。

衣食住に関わるすべてのものが
いつでも不足しているというわけです。

silhouette
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説明を聞いて、違和感を覚えた人も
いるかもしれませんが、
それもそのはずで、

それぞれの省庁の名前と、
そこで実際に行われていることというのが
大きく矛盾しているのです。

実は、ここが重要なポイントで、
ビッグ・ブラザーを心から敬愛する
生粋の党員であるならば、

上層部が決定した事柄については、
たとえそれが矛盾をはらむもので
あったとしても


進んで受け入れなくてはならないという
暗黙の了解があるのです。

「まあ、仕方ないか」という
消極的な態度ではなくて、

「はい、そのとおりです!」と
積極的に受け入れる姿勢が求められます。

さもないと、愛情省に送られて、
一から「愛情」を叩き込まれるということに
なりかねません。

barbed wire
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ではなぜ、党の中枢はこれほどまでに
人々を厳重に管理するのかといいますと、

一つには、人々をコントロールすることで
権力という名の欲望
満たそうとしているのです。

肉体と精神を極限まで追い詰めることで、
人間の自己は破壊され、
思考停止の状態に陥ります。

思考停止に陥った人間というのは、
どんなに理不尽な扱いを受けたとしても、

支配者の意に従って、
おもしろいくらいに言うことを聞く
というわけです。

こんな拍子抜けしてしまうような理由で、
ここまで手が付けられなくなるものなのかと
不思議でなりませんが、

まあ、それはさておき。

ディストピアの世界というのは、
実は、これで終わりではないんですね。

ディストピアのいわば最終形態ともいえる
『1984年』のさらにその先の世界
というのが存在します。

それが次の作品です。

【3】すばらしい新世界

ステージ3:ユデガエル
『すばらしい新世界』引用

ディストピア・ステージ3は、
ハクスリーの『すばらしい新世界』です。

『すばらしい新世界』の世界では、
「フォード」を信仰する世界国家が
全人類を管理しています。

この世界国家のトップには、
10人の「世界統制官」が君臨していて、

彼らの存在は、建国の祖にあたる
フォード様と同じくらい尊いものとして、
人々から崇拝されています。

ちなみに、この「フォード」というのは、
アメリカの自動車メーカーの
”Ford” のことで、

創業者のヘンリー・フォードが、
自動車の製造に、コンベイヤー・ベルト式の
流れ作業を導入したことで有名です。

このフォード式の生産方法は、
安価な製品を大量生産することに成功した
一方で、

従業員たちの劣悪な作業環境を生み出した
とも言われています。

長時間労働と
細分化された単純作業のせいで、

働いても働いても、
職人としての腕はいっこうに上がらない
という悪循環が発生しました。

この ”Ford” が、
”God” または ”Lord” に取って代わる。

そんな世界が「すばらしい新世界」として
描かれているわけですが、

具体的に、どんなことが
「すばらしい」とされているのかを
3つのポイントにまとめてみました。

新世界はなにが「すばらしい」のか?

新世界はなにが「すばらしい」のか?

ポイント1:親子の消滅

『すばらしい新世界』には
家族という概念が存在しないので、

親子や兄弟、親戚、
あるいは婚姻関係にまつわる
しがらみに煩わされることもありません。

人間は、はじめから個人として、
厳密にいえば、世界国家の構成員として
存在します。

そもそもこの世界では、人間は
母親のお腹から生まれてくるのではなく、
工場で生産・加工されます。

体外受精を行ったあとに
その受精卵を瓶に移して、
そのなかで成長した赤ちゃんが、
そのまま瓶から出てくる、というわけです。

それからもう一つ、
加工ということなのですが、

瓶から生まれた子どもたちは
そのままその工場で育てられます。

そこでは、子どもたちの世話をしながら
しつけを行うのですが、

そのしつけというのが常軌を逸していて、
精神的な恐怖と、身体的な苦痛を駆使して、
子どもの心理を操作します。

いわゆる、洗脳ってやつですね。

ポイント2:厳格な階級制度

なぜ、そんなことをするのかといいますと、
「厳格な階級制度」を維持するために、
子どもたちを徹底的にしつけていくのです。

いわゆる「階級意識」と呼ばれるものの
植え付けです。

子どもたちは瓶の中にいるときからすでに、
階級も、仕事も、名前も、
すべて決められていて、
それに基づいた差別化も同時に行われます。

このように、あらかじめ厳格な階級制度を
敷くことで、
人間の不平等が解消されることになります。

いや、そもそも階級制度は
不平等に基づいているのではないかと
矛盾を感じる人もいるかもしれませんが、

ここには巧妙なトリックが隠されていて、

つまり、自分よりも上の階級、
あるいは下の階級との間には、
依然として格差が存在することに
なりますが、

同じ階級の者同士であれば
生活の質の差というものは
ほとんどなくなるので、
不平等も存在しないというわけです。

しかも、それぞれが
自分の置かれた環境に満足するように
しつけられているので、

ほかの階級について
嫌悪を感じることはあっても、
うらやましいと思うことはありません。

これによって、階級間の軋轢というのも
発生することがないようになっています。

ポイント3:性の解放と薬

世界国家の方針として、
フラストレーションがたまるような状況は
進んで回避するよう推奨されています。

その最たる例が、男女の交際関係で、
彼氏または彼女を何人も作ることは、
良いこととして考えられています。

なので、取った・取られたで、
もめることもありませんし、

反対に、一人の人に思いを寄せたり、
二人だけの世界に閉じこもったりすることは
おかしなことだとみなされています。

それから、『すばらしい新世界』の人々は、
「ソーマ」という薬を常に持ち歩いていて、
事あるごとに服用します。

ちょっとでもストレスを感じると
すぐにソーマを飲んで、
トリップするんですね。

virtual reality
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これ以外にも、メタバースみたいな
体験型の映画や、スポーツなどの娯楽が
人々に幸福を与えてくれます。

あらゆる不安や不満から解放されて、
色とりどりの楽しみに囲まれた世界。


これがフォードの精神のもとに築かれた
「すばらしい新世界」というわけです。

この新世界に足りないものがあるとすれば、
「自由」くらいのものじゃないですかね。

ただ、陰極まれば陽に転ずる
じゃないですけど、ここまでくるともう、

ディストピアというよりはむしろ
ユートピアといっても
いいんじゃないかなという気もしてきます。

ディストピアってどんな世界?

ポイント1:科学と戦争の脅威

では最後に、サクッと結論を
まとめておきたいと思います。

まずはポイント1、科学と戦争の脅威。

ディストピアには必ずと言っていいほど、
高度に発達した科学技術
地球規模の戦争
という二大要素が存在します。

戦争は、続いている場合もありますし、
すでに終わっている場合もありますが、

いずれにせよ、
戦争の脅威に立ち向かうために、
または、戦争の脅威から身を守るために、

人類全体が強固な一枚岩と化していく様が
描かれています。

そして、築き上げた巨大な一枚岩が
途中で空中分解することのないように、

内側の隙間を穴埋めしたり、
外側をコーティングしたりするのが、
科学の役割なんですね。

ポイント2:厳重な監視・管理体制

つづいてポイント2、
厳重な監視・管理体制。

オーウェルの『1984年』が
一番わかりやすい例だと思いますが、

ディストピアには、科学技術を駆使して、
社会に潜む不安因子を徹底的に排除する
という特徴があります。

国家に対して従順でない人には
従順になってもらうために、

そして、すでに従順な人々には
さらに従順になってもらうために、

徹底的に監視して、
適宜修正していくのです。

ポイント3:全体主義の確立(個性の消滅)

最後はポイント3、
全体主義の確立(個性の消滅)。

今回紹介した3冊の小説にも
共通して言えることなのですが、

ディストピア小説の背景にあるのは、
機械化に対する不安
共産主義に対する恐れという
2つの懸念なんですね。

機械化というのは「科学の発達」と
言い換えてもいいのですが、

この機械化が進むことによって、
人間の仕事が奪われるという問題が
発生します。

働き口が見つかったとしても
低賃金の仕事ばかりで、
労働力が買いたたかれてしまう。

いや、そもそも、
働き口すらなくなってしまう、
なんてことも出てくるわけです。

そこに加えて、
共産主義の台頭という問題があります。

資本主義経済のなかで拡大した
貧富の差を打開するために、

虐げられてきた労働者たちの
正当な権利を取り戻すために、
打ち出されたポリシーのはずが、

ふたを開けてみれば、
支配者の名前が入れ替わるだけ
単なる椅子取りゲームを行うための
口実にすぎなかった。

富の再分配はおろか、
庶民の生活はますます苦しくなるばかりで、
おまけに、人としての自由まで
取り上げられてしまう。

このような事態に発展してしまうんですね。

この機械化と共産主義の体制が、
人間にとって最悪の形で結びついたとき、
ディストピアの世界が立ち現れる
というわけです。