ハツカネズミと人間(スタインベック)|作品を読み解く3つのポイント

ハツカネズミと人間 アメリカ文学

TITLE : Of Mice and Men
AUTHOR : John Steinbeck
YEAR : 1937

GENRE : Social Problem

barn
画像提供:Unsplash

まるで天国みてえなもんだ。みんなが小さな土地をほしがっている。おれはここで本をたくさん読むがね。ほんとうに天国へ行った者はいねえし、土地を手に入れる者もねえんだよ。土地はただ頭の中にあるだけだ。みんな、いつでも土地のことを話しているが、ただ頭の中にあるだけなんだな

P103(『ハツカネズミと人間』ジョン・スタインベック著、大浦暁生訳、新潮社、1994年)

テーマ:弱者の世界

【作品を読み解く3つのポイント】
1、同じ穴の狢
2、イノセンスという罪
3、世話の責任

【1】同じ穴の狢

「土地のくれるいちばんいいものを食って、
暮らす。」


いや、そんなことできるわけがない。

あいつらの頭の中は、まるでお花畑だ。

世の中そんなに甘くないよ、
と言い放つとき、

人々の顔はニヤリと笑っているようで、
その口元には、苦々しさが
にじみ出ているものです。

主人公ジョージとレニーに象徴される
「素朴さ」に対して、
賢い人ほど腹を立てるのは
いったいどうしてなのでしょう?

その理由は、ひょっとすると、
彼らもまた同じ願望を抱いておきながら、
すでにそれをあきらめてしまったから
なのかもしれません。

「いやあ、まるで子どもみたいなやつだね」
「うん。子どもみてえなんだ。子どもと同じで、なんの悪気もねえ。ただ力が強いだけだ。

P62(『ハツカネズミと人間』ジョン・スタインベック著、大浦暁生訳、新潮社、1994年)

イノセンスが、イノセンスをつぶす。

この物語があぶり出したのは、
複雑化した社会構造の下層部に蔓延する
「共食い」の実体でした。

レニーを侮ったために、
墓穴を掘った人たち。

動物を世話することを切望しながら、
それらを次々にあやめてしまうレニー。

農場の内部で発生する
悲惨の連鎖がある一方で、

外の世界に目を向ければ、
大恐慌のあおりを受けて
国そのものが疲弊している
といった有様です。

このような物語の背景は、
田舎に住む人々の閉塞感と同時に、
社会全体としての行き詰まりを
生々しく浮かび上がらせます。

農場主の息子夫婦も、農場の雇人たちも、
立場の違いこそあれ、
同じ「行き場のない人間」であることに
変わりありません。

彼らはともに、社会の辺境に属する人々だと
言っていいでしょう。

ところが、彼らはお互いに、
同じ穴の狢であることを認識していません。

弱者が、弱者をつぶす世界。

その根本的な原因が
自分たちを取り巻く環境にあるとは、
彼らは知る由もないのです。

【2】イノセンスという罪

innocence(無罪、無邪気、無知)

悲劇は、イノセンスによって引き起こされた
といっても過言ではありません。

ジョージの相棒レニーに象徴される
イノセンスと暴力の連鎖は、
本作が追究する重大なテーマの
一つだといえるでしょう。

ではなぜ、イノセンスは
暴力を誘発するのでしょうか。

レニーが犯した罪というのは、
予想外の事態の発生にともなう
パニックが主な原因でした。

レニーは、大男としての手加減を忘れて、
発作的に相手をあやめてしまうのです。

その一方で、イノセンスに向けられる
暴力というのも見逃すことはできません。

レニーは怪力の持ち主でもあります。

パニックを起こして暴れようものなら、
もう誰も手がつけられません。

なにをしでかすか、わからない。

だからこそ、徹底的に
抑え込まなければならない。

これが、イノセンスが誘発する
暴力の正体です。

イノセンスに秘められた計り知れない力が、
それに対する不安と恐怖を
呼び起こすことによって、
同じ悲劇がくりかえされるのです。

【3】世話の責任

「おらにはおめえがついている。おらたちゃ、そうさ、たがいに話しあい世話をしあう友だちどうしなのさ」レニーは勝ち誇ったような叫びをあげた。

P144(『ハツカネズミと人間』ジョン・スタインベック著、大浦暁生訳、新潮社、1994年)

家族や、師弟、男女の間柄など、
人間には、他人の介入を許さない
強固な結びつきというものがあります。

ジョージとレニーの場合もそのとおりで、
彼らは、単なる友達同士などではなく、
お互いの片割れ・分身として存在しました。

二人の特殊な関係性を分析するうえでは、
同じスタインベックの作品である
『赤い仔馬』が参考になりそうです。

『ハツカネズミと人間』のテーマや設定は、
『赤い仔馬』のそれを彷彿させます。

●テーマ:イノセンスの喪失
●舞台:カリフォルニアの農場
●登場人物:農場主一家と、その雇人
●出版年:1937年

以上が主な共通点なのですが、
これだけ見ていても、これら二つの作品が、
いかに似通っているかということが
おわかりいただけるかと思います。

当時のスタインベックには、
このようなシチュエーションに対して
相当な思い入れがあったことが
うかがえます。

イノセンスの喪失

それは、相棒の死を経験することから
はじまります。

最後まで面倒を見る。

そこには必然的に、面倒を見られる者の
「死」に対する責任が生じます。

『ハツカネズミと人間』では、
ジョージの試練として、

『赤い仔馬』では、
少年ジョーディの試練として、
それが描かれていました。

はたして、どう責任を取るのか?

それぞれの主人公を
保護者としての葛藤が襲います。

純粋な主人公に要求されていたのは、
イノセンスの塊のような相棒に
自ら手を下すことでした。

そして、そのような過酷な試練というのは、
賢い大人になるために、彼らに課せられた
一つの「通過儀礼」でもあったのです。