幼年期の終わり(クラーク)|作品を読み解く3つのポイント

幼年期の終わり イギリス文学

TITLE : Childhood’s End
AUTHOR : Arthur C. Clarke
YEAR : 1953
GENRE : Science Fiction

black hole
画像提供:Unsplash

いまそれは、人類が過去に成し遂げてきたすべてを吸収した。これは悲劇ではない。成就だ。人類という存在を作っていた何十億ものはかない意識の閃きは、もはや夜空を飛ぶホタルのように輝くことはないだろう。しかし、人類はただ無意味に存在したわけではないのだ。

P397-398(『幼年期の終わり』アーサー・C・クラーク著、池田真紀子訳、光文社、2007年)

テーマ:影の功労者たち

【作品を読み解く3つのポイント】
1、自由か?幸福か?
2、精神と物質
3、カタルシス

彼らを崇拝する人々から
「オーヴァーロード」(最高君主)と呼ばれた
異星人たちによる
地球の支配および人類の統治は、

人間の「闘いの歴史」に終止符を打ち、
これまでほとんど誰も経験したことのない
全世界的な平和を地球にもたらします。

オーヴァーロードの総督カレランが
国連事務総長に指示した
「世界連邦化計画」は、

人類の「自由」を死守しようとする
抵抗勢力の妨害行為に遭いながらも
予定通り、実現されることになります。

これにより、戦争、病気、飢饉、犯罪など
平穏な暮らしを脅かすものは払拭され、

人々は、贅沢品を入手することと、
娯楽や趣味を満喫することに
エネルギーを注ぐようになります。

オーヴァーロードの出現によって、
人類は、喉から手が出るほど渇望してきた
「ユートピア」
はからずも手にすることとなったのです。

地球は、百年前と比べ、不公平は少ない反面、はるかにちっぽけな星になっていた。オーヴァーロードたちは、戦争と飢餓と病気を根絶やしにしたと同時に、冒険をも絶滅させてしまったからだ。

P179(『幼年期の終わり』アーサー・C・クラーク著、池田真紀子訳、光文社、2007年)

「世界連邦(世界国家)」の樹立に伴い、
人類の価値観は様変わりします。

文化、歴史、宗教といったものは、
人々が、「無知と恐怖」から解放されると
同時に廃れていき、

世界各地で培われてきた民族の伝統も
徐々に忘れられた存在となっていきます。

一方で、オーヴァーロードの支配に盲従し、
手軽な娯楽にあふれた
おもしろみに欠ける生活を

なんの疑問もなく享受する現状に
危機感を募らせる者も少なくなく、

芸術家や学者といった人々を中心に
「オートメーション化」を極力排除した
自律的な暮らしを営むグループも
現れます。

「人間が受け身なスポンジに成り下がる」

異星人たちの徹底した管理体制が、
「地上の楽園」を現実化させた一方で、

彼らオーヴァーロードたちの秘密主義と、
有無を言わせぬトップダウン型の統治

「自由」を重んじる人々の不満を
依然として募らせていたのです。

宇宙の開拓をまさに推し進めようとしていた
2001年(?)当時の人類の目前に、

ただの一度も攻撃を加えることなく、
圧倒的なテクノロジーの差を見せつけた
オーヴァーロードでしたが、

彼らの「力と知恵」は、
原子力や宇宙事業をはじめとする
高度な科学技術を擁する人類のそれを
はるかに上回っていました。

この点では、オーヴァーロードは、
人類の「物質的な発展」の行く末を
体現しているといえるかもしれません。

その一方で、のちに明かされることになる
「オーヴァーマインド」(至高の精神)
存在は、

オーヴァーロードの高度に洗練された
知性をもってしても、
その正体を解き明かすことが
できないものとして説明されています。

オーヴァーロードが地球にやって来た
真の目的とは、

宇宙の精神(意識)そのものである
オーヴァーマインドと、

旧人類から生み出されつつあった
精神の進化を遂げた「新人類」の「統合」
サポートすることだったのです。

あれだけの力と知性を持ちながら、オーヴァーロードたちは進化の袋小路にとらわれているのだ。彼らは偉大で気高い種族だ。あらゆる点で人類より優れている。しかし、彼らに未来はない。そして当人たちもそのことを知っている。

P343(『幼年期の終わり』アーサー・C・クラーク著、池田真紀子訳、光文社、2007年)

「精神のメタモルフォーゼ(変態)」
経験することができなかった
=進化することができなかった旧人類と、

オーヴァーマインドと統合する術を
未だに見出すことができないでいる
オーヴァーロードは、

文明の発達段階の違いこそあれ、
「物質的な世界」に留まる者としての
立場を共有していることがわかります。

オーヴァーロードとオーヴァーマインドの
明確な違いを端的にまとめると、

オーヴァーロードには、旧人類と同様に、
「個」という意識を持っているのに対して、

オーヴァーマインドと新人類には
それがなく、

これまでにも無数の存在の意識を吸収し、
これからも無限に拡大していく
はてしない=計り知れない存在として
言及されています。

オーヴァーマインドがうながす
「精神の進化」を果たせるか否かは、

「個の存在」を超越した「統合」に
加わることができるか否かに
かかっているようです。

それから―ああ、これはどう説明すればいいのかな。たったいま僕は、感情の大波に襲われました。喜びでも哀しみでもない。充足感、達成感、そんなものを感じました。

P418(『幼年期の終わり』アーサー・C・クラーク著、池田真紀子訳、光文社、2007年)

オーヴァーロードの宇宙船団が
人類の前に出現した、まさにその瞬間に、

人類の滅亡と地球の消失が
不可避の未来として
宣告されていたのだと考えれば、

人間の自由も、人類の歴史も、
刻一刻と迫る絶体絶命には太刀打ちできず、

それらを守り抜こうとすればするほど、
虚しさが込み上げてくるようにも
思われます。

ただ、「私たちの可能性は枯渇した」
自覚しているオーヴァーロードたちにも、

オーヴァーマインドの新たな統合を
仲介・保護するという役割があったように、

旧人類にも、「新人類」を生み出し、
地球から宇宙へと送り出すという
重大な役目が与えられていたのですから、

すべてが無駄だったと考えるよりも、
すべてに意味があったと考える方が
妥当だといえるでしょう。

自分はチョウになるべく存在として
生まれてきたのだと信じて疑わないものに

あなたはイモムシまたはサナギとして
この世に存在し、生涯を終えると告げるのは
一見すると残酷な仕打ちにも思われますが、

当然ながら、イモムシやサナギがなければ
チョウも存在しないわけで。

このような「個体」を超えた
命のリレーがつなぐ、
生物の進化の可能性を思うと、

この悲しくも美しい物語にも
小さな希望が見えてくるような気がします。