悲しみよこんにちは(サガン)|作品を読み解く4つのポイント

悲しみよこんにちは フランス文学

TITLE : Bonjour Tristesse
AUTHOR : Françoise Sagan
YEAR : 1954
GENRE : Youth

cliff and sea
画像提供:Unsplash

アンヌがもっともたいせつな財産のようにそこここに持ち込む秩序や平穏や調和を、わたしは思い描くことができなかった。死ぬほど退屈するのではないかと、とても不安だった。

P152(『悲しみよこんにちは』フランソワーズ・サガン著、河野万里子訳、新潮社、2009年

テーマ:親離れ

【作品を読み解く4つのポイント】
1、安易な生活
2、母親代わり
3、疎外感
4、大きな誤算

【1】安易な生活

わたしはまだなにも知らなかった。それから父が、パリの、贅沢の、安易に心地よく流れ去る生活の、手ほどきをしてくれたのである。

P27(『悲しみよこんにちは』フランソワーズ・サガン著、河野万里子訳、新潮社、2009年

17歳のセシルの置かれた環境というのは、
かなり特殊だったといえるかもしれません。

セシルは、父親とパリで暮らしていました。

彼女の父親は、まだ40歳。

ハンサムで、お金持ちで、女好きで、
無類の遊び人でもあります。

そんな父親の享楽的な生活にも、
セシルは慣れっこです。

そのような生き方に対して、
彼女は早くから共感と理解を示し、
自慢の父親を心から愛していました。

騒々しい酒飲みたちが集まるパーティも、
半年ごとに入れ替わる父親の愛人たちも、
親子の生活には、当然のこととして
受け入れられています。

そして、この夏のヴァカンスに、
父親の愛人エルザが同伴することにも、
セシルは笑顔で承諾しました。

【2】母親代わり

セシルの母親は、彼女がまだ2歳の頃に
亡くなったようです。

幼いセシルが、母親と生き別れたあと、
どのように暮らしてきたかについては
ほとんど言及されていませんが、

「二年前、学校の寮を出たとき」
「修道院の女子校に十年もいた」
と書かれていることから、

セシルが学校の寮に入る以前に、
父親と一緒に過ごした時間というのも、
それほど長くはなかったのではないかと
推測されます。

そんな彼女の
いわば母親代わりとなったのが、
ヴァカンスに急遽合流することになった
アンヌでした。

彼女はわたしの面倒を見たり、しつけたりするのに手を焼いていた。アンヌにそうした保護者や教育者の役をさせるのは、義務感以外のなにものでもない。父と結婚することで、彼女は同時にわたしのことも引き受けるのだ。

P120(『悲しみよこんにちは』フランソワーズ・サガン著、河野万里子訳、新潮社、2009年

アンヌは、早世した母親の旧友でした。

久々の再会ということもあってか、
娘の扱いに困り果てた父親は
亡き妻の友人関係を頼って、
セシルを一時的に彼女のもとへ預けます。

セシルはアンヌの世話を受けながら、
おしゃれや恋愛に目覚めていき、
同時に、大人としての生活の仕方を
身に着けていきました。

それから月日が経過して、
セシルたちの別荘にやってきたあとでも、
アンヌは相変わらずの姿勢で
彼女に接します。

朝ごはん、ちゃんと食べなさい。

試験はどうだったの?

あなたはそれで楽しいの?

アンヌの、セシルに対する態度には、
母親の、子に対する姿勢
顕著に表れているといえるでしょう。

父親の愛人としての立場に甘んじている
ほかの女性たちとは違い、
アンヌは一人の大人として、
若いセシルの行く末を案じるのです。

しかし2年もの間、無秩序な生活を
続けてきたセシルにとっては、
そのようなアンヌのお節介が
うっとうしく感じられました。

【3】疎外感

わたしはうまく理解できずにいた。あんなにかたくなに結婚や束縛をきらっていた父が、たったひと晩で決意したなんて……今までの生活は一変する。

P61(『悲しみよこんにちは』フランソワーズ・サガン著、河野万里子訳、新潮社、2009年

父親とアンヌが結婚を決めたことを知ると、
セシルは驚きや喜びを感じると同時に、
一抹の不安を覚えます。

知的で洗練されたアンヌの暮らしは、
放蕩な父親と自分の生活とは
あまりにもかけ離れている。

付き合う人間一つ取ってみても、
お互いの価値観の違いは明らかです。

アンヌが家族として加われば、
父と娘の気ままなライフスタイルは、
秩序のある、平穏なものへと
一新されることになるでしょう。

ふたりはわたしの頭上、手の届かないところで、過去においても未来においても結ばれている。それはわたしの知らない絆で、わたしには関係ないのかもしれない。

P62(『悲しみよこんにちは』フランソワーズ・サガン著、河野万里子訳、新潮社、2009年

若いセシルの心情には、
喜怒哀楽が複雑にからみ合っているため、
彼女の言動の理由を
一つの事柄に特定することは困難です。

セシルが、アンヌに対して抱いた憎しみは、
父親との生活(あるいは父親そのもの)を
奪われるかもしれないという不安、

言い換えれば、
エレクトラ・コンプレックス的な感情に
原因を求めることができるかもしれません。

しかし、その一方で、
美人で聡明な気品のある女性であり、

かつ、母親としての責任も
進んで引き受けようとするアンヌへの
憧れと愛着が、

セシルの葛藤をかき立てていたことは
容易に想像できます。

ただ、結局のところ、
17歳のセシルがもっとも恐れていたのは、
自分の居場所を失うこと
だったのではないでしょうか。

己の流儀をあっさりと捨て去って、
結婚という旧来の型にはまり、
まるで住む世界の違うような人間を
生涯の伴侶に選んだ2人の大人に対して、

「今ふうの考え方」をするセシルは、
強烈な疎外感を抱いたのかもしれません。

【4】大きな誤算

「誰も必要ないでしょ」彼女はつぶやいた。「あなたにも、彼にも」

P167(『悲しみよこんにちは』フランソワーズ・サガン著、河野万里子訳、新潮社、2009年

セシルがアンヌと交わした
最後のやりとりは、
どことなく親子の今生の別れを
彷彿させます。

「かわいそうな子!……」

セシルの頬に手を触れて、
涙ながらにそうつぶやいたアンヌの姿は、
まるで、この世に残していく我が子を思って
胸を痛める母親のようです。

ただ、本当にかわいそうなのは、
昔のよしみで旧友の娘を預かり、
セシルたちの暮らしになじもうと苦心した
アンヌの方ですよね。

悲劇の原因を作った張本人である父親が、
自分の妻となり、娘の母となるはずだった
アンヌについて、

どのように考えていたのかは
わかりませんが、

いずれにせよ、
セシルにしても、その父親にしても、
アンヌという人間の存在を
自分勝手に誤解していたことは明らかです。

「観念的な存在などではなくて、
感受性の強い生身の人間」

そのことにようやく気がついたときには、
事態はもう取り返しのつかないところまで
進行していました。

明け方の暗闇のなかで、時折、
アンヌの記憶とともによみがえり、
セシルの胸にこみ上げてくる「悲しみ」。

ひょっとすると、それは、
セシルが自らあっけなく手放してしまった
今は亡き母親たちに対する思慕と懺悔
暗示していたのかもしれません。